躁うつ病〜ことり日和

躁うつ病でパニック障害。小鳥たちとの日々。

変えられない自分

私はわがままに育てられました。
ただひたすらに、猫かわいがりする父と、
娘のわがままにいいなりの母。(聞かないと火に油のため)
祖父母には、初孫でもないのに
何故か、いとこの中で一番かわいがられ、
遊びに行くとお小遣いもたくさんもらい、食事も贅沢三昧。


ただ、内弁慶だったため、大威張りは家の中だけでしてました。
4つ下に弟がいるのですが、大変奔放な性格なのが気に食わず、
彼の行動で癇に障ることがあると、すぐにキレ、
怒鳴り散らしたり、ぶったりしていました。
そんな私に母は、
「○○(弟)には、ことりちゃんが怒るから、私は怒らないの。」
と、子育て放棄。
やりたい放題の私を叱って、
弟の教育も自分がやるのが本当でしょう。
でも、そんな母だったのです。


私はわがままで、甘えん坊で、自分のことしか考えていませんでした。
さらに、多弁、多動、注意欠損、攻撃性、気分の浮き沈み、すぐキレるなど、
困った症状も抱えていたのですが、
ただ外では内向的なよい子ちゃんで、
幼稚園や学校で問題になることもなく、
当時は今のように、ADHDなどの情報もなかったので、
母も苦労したのでしょう。
私が小学校のころ2度ほど過労で倒れて入院しました。


そんなお姫様扱いは大人になるまで続き、
母の手伝いなどすることもなく、こき使い、
(母が入院している時だけは、
家の家事一切をやりきる要領の良さはあった。)
父には相変わらず猫っかわいがりされ、育ちました。
弟には力ではかなわなくなるので暴力は振るわなくなっても
口の攻撃は相変わらずでした。


はっきり言って最低の人間です。


でも、本当の本当は、助けてほしかったのです。
ちゃんと分かっていました。
自分の感情がコントロールできず、
絶えずイライラし、マイナスの感情に支配され、
習い事にも、宿題にも集中できず、じっとしているのが苦痛で。
なんで自分はこうなんだろう・・・。
小さいながら生きずらさを感じていました。
それでいて、負けず嫌いで、気持ちを言葉にすることが苦手なため、
助けを求めることもできず「自分は悪い人間だ」と思っていました。
思っているのに、止められませんでした。

威張っているのに、自己肯定感は最悪でした。


情報の溢れる今の時代に生まれたら、
母も自分の娘の症状に気づいたのかもしれません。

私達親子の救いもあったのかもしれません。


でも残念ながら、昭和の時代にはそんな情報はありませんでした。
診てくれる病院も、カウンセリングルームもありませんでした。



大人になって、病気を通して学び、結婚し、子供を持ち、今思うこと。


子供の成長は早いから息子との「いま」を大切にすること。

無償の愛をたくさん注ぐこと。

働けない私の分まで頑張ってくれている夫をいたわること。


分かってるんです。でも、私の中の意地悪な心が時々顔を出すんです。

なんでも思い通りにしたがり、相手を支配したがり、

そうでないと、ものすごくイライラする自分がいる。
当たり散らしてしまう自分がいる。
ふてくされてしまう自分がいる。



今ある幸せは当たり前じゃない。
病気を理解し、心配してくれる両親がいる。
夫がいて、息子がいて。それだけで幸せ。


なのに、


大量の薬を飲んでもなお、顔を出す、私のマイナス感情。

意地悪で自分本位な甘ったれた考え。

大人なんだから、もう誰のせいでもない。

自己責任。

それでも湧いてくる。コントロールできない。


感謝することを忘れずにいなさいと、色々なところで読んだ。

心がけ、なるべく「ありがとう」を口にするようにしてはいる。


なのに


夫を疲れさせてしまっているのがわかる。
息子がビクビクしてるのが分かる。


失わないと気づけないの?

後悔してからじゃ遅いのよ?



なんで私はこうなの?

トラウマ


双うつ病のブログですが、パニック障害のほうが先に発症しているので、
今日はその原因になった出来事をお話しします。


父はよく私が小さいころ、私のことを、キー子ちゃん、ペラ子ちゃんと呼んでいました。
意味は読んで字のごとく、キーキーヒステリックで、ペラペラよく喋る子。
子どものころから、躁うつのハイの傾向が出ていたんですね。
父に悪気はなかったんですが、私は小さいなりに、いい意味じゃないと感じていて
そう呼ばれることが嫌でした。


多動の症状も出ていて、とにかくじっとしているのが辛い。
先生のお話を黙って聞いてることが苦痛で、
でも、いい子ちゃんだったので、
頑張ってじっとしているわけですが、
どうも頭に話が入ってこない。という感じでした。


一番の大事件は幼稚園の年長さんの時。


運動会のお遊戯の練習をしていたんですが、
どうしても先生と同じようにできない。お友達についていけない。
先生がこっちの手を動かしたら、私は一体どちらの手をあげたらいいの?
そんなことを考えながらまごまごしていたら、
私の大好きだった担任の先生が鬼の形相でやってきて、
「そんなにやりたくないなら、あっちに行ってなさい!」と、
私の手をつかんで体育館の隅っこへ連れて行ったのです。


何が起こったのやら理解できなかった私は、元居た場所へ勝手に戻りました。
するとまた先生がやってきて、「やらなくていいって言ってるでしょ!!!」
また、体育館の隅に引きずって行かれました。
私は何も悪いことをしていない。
私は抗議の意味を込めて、思いっきり声をあげて泣き叫びました。
すると、また先生がやってきて、「静かにできないなら、こっちへいらっしゃい!」
と、今度は廊下に引きずり出されました。
しんと静まり返った廊下。ひんやりとした壁。
私はただ、立ち尽くしました。


何分経ったでしょう?お遊戯の練習が終わり、
立たされている私をじろじろ見ながらお教室へ帰るお友達たち。
こんな恥ずかしい思いをしたのは人生で初めてでした。


先生がやってきて、
「何が悪かったか分かった?」
・・・・・・・わかるわけがない。黙り込む私。怒りを倍増させる先生。
「お友達のところへいって、なにが悪かったか聞いてきなさい!」
でも、本当に何がいけなかったのか、当時の私にはわからなかったのです。
心の中はパニックでした。


誰に何を聞いていいやらわからないまま、
お友達と一緒に給食の準備をしていたら、
また先生が現れました。
「お友達に聞いたの?なんで先生の所に言いに来ないの?」
答えらえられない私。その後のことはあまり覚えていません。
でも「ことりちゃんがどこがいけなかったか、誰か教えてあげてちょうだい。」
みたいな、つるし上げを食ったのはなんとなく記憶してます。
私はただ、恥ずかしさと恐怖で固まっていました。


先生は結局何がいけなかったか、ちゃんとは教えてくれませんでした。
おそらく、私がもたもたしていたのを見て、
やる気がない。サボってる。と、とったのでしょう。
のちに、幼稚園とも仕事をしている夫に聞いたら、
園にもよるけど、先生たちは自分のクラスの子供たちの統制がとれていないと、
上の先生からの圧力がすごいそうです。
先生にも都合があったのかもしれません。
でもだからって、子供の一生を壊すようなことをしていいはずはありません。
私は本当に一生懸命やっていただけなのですから。


帰ってもこんな恥ずかしいことは母には言えず、
2週間ほどたちました。
月末報告で先生から連絡ノートに
「運動会の練習では泣いてしまった場面もあったようですね。」
と、書いてありました。まるで、私が勝手に泣いたかのように。
大好きな先生でした。
若くてきれいで、絵とピアノが上手な憧れの先生でした。
でも、この文面を見て、
「大人なんて信用できない。泣かせたのはあなたでしょう?」
強く彼女を軽蔑しました。


こうして、私は「ほかの人と違うことをすると、その場から追い出される。」
という間違った情報を胸に刻み付けてしまったのでした。



この出来事は、いくつかの精神科を渡り歩くごとに話してきたし、
カウンセリングに通ってるときにも何度も扱って癒してきたはずでした。
正直なんとなく、今日このことを書こうかなと思った時点では、
どうってことのない過去の出来事でした。


でも、やっぱり書いていたら涙があふれてきてしかたありませんでした。


今日ここでまた皆さんにお話ししたことによって、
私の中のインナーチャイルドが癒されたはずです。


重い話を、読んでいただきありがとうございました。





昨日は結婚記念日でした。ただ、主人が出張だったので
今日これから息子の手作りハンバーグと、
地元のおいしいケーキ屋さんのケーキでお祝いしようと思います(^^)

10年

夫と暮らしはじめたころ、


朝起きるのに、ラジオを大音量でアラーム設定にしていた夫。

「ねえ、ラジオ鳴ってるよ。」と私。

ところが、これが、いつまでたっても起きない。

15分…30分…1時間…


私もその頃は仕事をしていたんだけど、

朝弱い上に、出勤が遅い会社だったから、

その時間はまだ寝ていたい。


我慢も限界。

ある日突然、キレました。


「いい加減にしてよ!!!いつになったら起きるの?

私はまだ寝ていたいのよ!

起きる気がないのならラジオ消してよ!」


切れた私を初めて目の当たりにしてビビった夫、

「分かったよ。起きる。」

すごいインパクトだったようです。


私は小さい頃からピアノをやっていて、

絶対音感があるので聴きたくもない音楽が鳴っているのは辛いし、

そもそもADHDなので騒音に弱い。例えば騒がしいレストランなんかでは、

ツレの会話を聞き分けるのは非常に困難なんです。

ラジオは天敵。テレビなんかも見たいものが終わったらすぐ消します。



それから、10数年。

ついこの間のできごと。


新しくリラクゼーションCDを買った私。

すぐ聴きたかったけど、休日だったのでテレビを夫と息子に占拠され、

同じ部屋にあるCDデッキが使えず、うずうず。

夜になって、ようやく誰もいなくなったリビングで、雑誌をめくりながら、CDを聴いていたら、

風呂から出て来た夫がいきなりテレビのスイッチをON。

CDの鳴り響く部屋でテレビを観てうるさくないのだろうか?

「ねえ、私、今、CD聴いてるのよ?なんでテレビつけるの?」


またまたキレてしまいました。


「ハイハイわかりましたよ。ことりは10年前と変わらないな。自分のしてることを邪魔されると、腹が立つんだろ?」



・・・・・この10年間、自分の病気や性格をすこしでも良くしようと、

色々努力してきたつもりなのに、

「何にも変わらない」と言われたのには、

10年成長してないと全否定されたようで、

流石に傷つきました。


一番認めて欲しい人に否定されるのは辛いですね。