躁うつ病〜ことり日和

躁うつ病でパニック障害。小鳥たちとの日々。

夜尿症

今日は長文です。

何回かに分けて書こうと思ったのですが、言いたいことが次々出てきてうまくまとめられなかったので、そのまま投稿します。

お時間ある方、お付き合いください。





息子は中3の今でも、まだおねしょ(夜尿症)が治っていません。


小2で小児科に一年かかり、小児医療センターを紹介され小3〜小5まで通院しました。

夜おしっこを凝縮させる薬を飲んだり、便秘改善の薬を飲んだり、夜特殊な紙オムツに器具をつけ、おしっこが出始めたらピーピー高い音でアラームがなり、本人を起こし、夜中に排尿する感覚を覚えさせ、さらに計量カップにおしっこをさせ、毎日尿量を記録することもやりました。


一度だけ、4年生の12月から3月まで奇跡的に全くおねしょをしなくなったことはあったんですが、5年生の新学期とともにおねしょをし始め、それ以来毎晩おねしょおねしょの日々。


小学生ぐらいなら尿量も少なく紙おむつも非常に考えられて作られているので横漏れ伝い漏れもなくストレスではなかったのですが、

中学校に入る頃から大人用の紙おむつを使用するようになると体が大きい分尿量も増えシーツまでぐしょぐしょに。あらゆるオムツを試しましたが全部ダメ、大人用紙オムツはジッと寝ている老人のためのもの。寝ながら元気にゴロゴロ動き回る子どもには対応してないのです。


ただ世の中、同じ思いの方もいるもんで、シングルサイズのおねしょマットが売ってるんです。お布団をダメにしないで済みました。


でも、それを使い始めてからは、どうせマットもパジャマもびしょびしょになるならと、おむつも履かなくなり、大量の洗濯物と格闘してきました。



話は前後しますが、小5の夏。二泊三日で林間学校がありました。先生とは息子が夜職員用の部屋に行ってパンツからオムツに履き替える作戦を練って、大丈夫だからねと言い聞かせたのですが、「友達にバレたらどうしよう」という不安に耐えきれなくなってしまい、林間学校の前日、息子は家出しました。


探しても探しても見つからず、学校の先生と警察に協力していただいて徹底的に探しましたがダメでした。子供の行動範囲と言う固定概念にしばられていたのです。

それをよそに息子はコンパス片手に自転車で東京を目指して探検にでたのですから。

(以前家族で行ったことのある、銀座4丁目の交差点まで行って戻ってきた、と言ってました。)


夜中の3時、電話が鳴りました。警察が息子を市内で保護したと。


帰ってきた息子はリュックサックに3日分の着替えとわずかなお小遣い、コンパス、探検の計画ノート、コンビニで買ったガムなどを詰め込んでました。


そこまで思い詰めてたとはつゆ知らず、林間学校の準備を整え、送り出そうとしていた自分に腹が立ちました。


夫とも話し合って息子の全てを見直すことにしました。まず、ストレスを取り払うこと。

辛いお薬と、毎晩の夜尿アラーム療法をきっぱりやめ、夜尿症に効くと売り出している漢方薬局を尋ねてみようとうこと。

習い事は無理のない程度にすることなど。


しかし、息子の夜尿症は頑固で、漢方薬局の先生も毎月あの手この手で薬を調合してくれるのですが何の効果もありませんでした。治る子は3〜4ヵ月で治ると言うのです。

結局漢方も1年でやめました。


最後の希望は「第二次成長期」これを境に治る子がいると言うのです。

しかし中学生になっても夜尿は一向に治らず、この子は一生夜尿症と付き合っていかなきゃならないのか。結婚もできないかもしれない。友達と旅行も、、、絶望的な気持ちでした。



ところがです、息子の夜尿症は中3の修学旅行を境に、劇的に改善したのです。何が理由かわかりません。また担任の先生と息子と親で夜の対策はバッチリたてて実行してもらったのですが。


あんなに毎日大量にしていたおねしょは月に2回ほどになり、洗濯が楽になりました。今の所、数ヶ月、そんな感じですぎてます。


「毎日おねしょしてプレッシャーだった?」と聞いても「別に?」て感じであっけらかんとしている息子。

こんな日がいつまでも続いて、おねしょゼロになったら嬉しいです。


過去に一度治ってぶり返したことがあるからまだ完全に安心しているわけではないんですけど、私は第一の応援団。その時はその時です。



ちょっと悩み事が軽くなって嬉しくて全部書いてしまいました。お付き合いありがとうございました。





扇風機とハロウィンとゆづ。




花の丘公苑のコスモス。






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