躁うつ病〜ことり日和

躁うつ病でパニック障害。小鳥たちとの日々。

ひとりきり


家に一人きりになると、急にすべてのことに対して
やる気がなくなります。


家事もしたくない。
本も読みたくない。
テレビもDVDも見たくない。
買い物にも出たくない。
ネットショッピングもかったるい。
スマホゲームも面倒くさい。
散歩なんてもってのほか。
LINE友達もあまりいない。
ああ、書道の課題をやってしまわなきゃ・・・。



ただ、静かな音楽をかけて、でも、それを聴くでもなく、
こたつに潜ってじっとしています。



一人が心細くて、さみしくてさみしくてしかたない。
と同時に、人々が活動している時間に
時間を無駄に過ごしている自分がみじめになる。



鳥たちが「遊んで」と騒ぐときは、籠からだしてやりますが、
基本的にただ、出しっぱなし。遊んでやる気力はありません。
ただ、私が眠りにつくと、3羽とも私にとまって、
一緒に昼寝してたりするので笑ってしまいますが。


でも、悲しいかな、おなかはすく。
うつ病なら食欲も落ちてほしいのに。
ジプレキサの影響か食欲は旺盛(;;)


のっそり起きて、食べるものさがして、
食べてまた、横になる。


やったことといえば、洗濯物を干したことぐらいだろうか。


息子が帰ってくるまで、
長い長い一日をただただむなしく過ごす。


息子が独立してしまったら私はどうなるんだろう。



その昔、ごみ屋敷状態のリビングに万年床をこさえて、
一日、テレビを見て過ごしていた祖母を思い出す。


買い物は生協の宅配で済ませ、病院通いだけが楽しみだった彼女。
冷蔵庫は賞味期限切れの食糧でごった返し、
ひどいときは、カビの生えた使いかけのマーガリンが4つも出てきた。
冷凍庫は扉を開けると雪崩を起こす。


ああはなりたくない。思いっきり軽蔑していた10代のころの私。


祖母が精神科にかかっていたかどうかは、
今になっては分からないけど、
自分が躁うつ病になって、
ああ、彼女も同じ病気だったのだと、よくわかる。


祖父はあさ5時には家を出て、
夜中の0時近くまで帰ってこない人だった。
仕事でではない。帰ってきたくなかったのだ。
もちろん日中は働いていたが、
毎晩お酒を飲んで、遊んで帰ってきた。
「おばあちゃんをあんなにしたのは、あんたのせいだ。」
父が祖父を責めたことがあった。
でももし、祖父が精神病に理解のある人だったとしても
限界はあっただろう。


晩年、糖尿病を患い、脳梗塞を起こして体が不自由になった祖母を、
祖父が持て余し、私たち家族と同居することになった。
自由が利かないイライラを私たちにぶつける祖母。
しかし彼女は、父が仕事から帰ってくると満面の笑みで迎えた。
息子(父)だけが生きがいになっていた。
今、それを思い出し、自分の将来が見えるようで嫌気がさした。


幸い、私の夫は病気を積極的に理解しようとしてくれるし、
部屋の掃除や、ほかの家事分担をしてくれるので
我が家はごみ屋敷は免れているけど、
主人が留守のときの、
この何もできない感だけはどうしょうもならない。


次の診察で相談してみようか。


そんなんに効く薬なんてないか。

非常食

非常食の賞味期限が一気に切れました。
5年前のものだから、
ちょうど息子が小学校1年生の時に用意したもの。
子どもが食べやすいものをと、おいしそうなクッキー系の物中心。
一気片付けなければならないおやつが増えました。


ついでに防災グッズを見直すと出てきたのは
息子用の小さい下着。Tシャツ。つかえない・・・。
もっともっと頻繁に見直さないといけませんね(^^;


でもなんだか、小さなタイムカプセルのよう。

5年間全く放っておいたわけではないんだけど、
それでも、用意した時の事情が見えてくる。


と同時に、5年間。何事もなかったことに感謝の心がわいてくる。
東日本大震災の時、まだ幼稚園に入る前の息子と
津波が町や田畑を飲みんでいく様子を
テレビのライブ映像で凍り付きながら見ていたことを思い出しました。


この先もまた何もないだろうと思いながらも、
もし何かあった時用に備えなければと、
インターネットで非常食を検索すると、
今は7年も保存できる食べ物があるんですね。


お値段出せば、内容もなんだか普段食べているより
なんだかゴージャスなメニューが7日分も入ってるセットも。


どの程度のものを何日分用意しておけばいいのでしょうね?
正直さっぱりわかりません。


ただ、本当に心配なのは、精神障害を持っている自分が
避難所などの暮らしにどれだけ耐えられるか。
実はそっちのほうが恐怖に近い・・・。
同じくパニック障害を持つ友人は
「他人と暮らすなんて無理。庭にテント立てて暮らす!」と
宣言してます。まあ、それは冗談として。


とりあえず、薬だけは持って逃げようと思います。
それ以上は考えても、不安になるだけなので、
必要最低限の備えだけして、あとは考えないようにします。



各地の被災地の人たちが
一日も早く安心して暮らせる日が来ますように。

変えられない自分

私はわがままに育てられました。
ただひたすらに、猫かわいがりする父と、
娘のわがままにいいなりの母。(聞かないと火に油のため)
祖父母には、初孫でもないのに
何故か、いとこの中で一番かわいがられ、
遊びに行くとお小遣いもたくさんもらい、食事も贅沢三昧。


ただ、内弁慶だったため、大威張りは家の中だけでしてました。
4つ下に弟がいるのですが、大変奔放な性格なのが気に食わず、
彼の行動で癇に障ることがあると、すぐにキレ、
怒鳴り散らしたり、ぶったりしていました。
そんな私に母は、
「○○(弟)には、ことりちゃんが怒るから、私は怒らないの。」
と、子育て放棄。
やりたい放題の私を叱って、
弟の教育も自分がやるのが本当でしょう。
でも、そんな母だったのです。


私はわがままで、甘えん坊で、自分のことしか考えていませんでした。
さらに、多弁、多動、注意欠損、攻撃性、気分の浮き沈み、すぐキレるなど、
困った症状も抱えていたのですが、
ただ外では内向的なよい子ちゃんで、
幼稚園や学校で問題になることもなく、
当時は今のように、ADHDなどの情報もなかったので、
母も苦労したのでしょう。
私が小学校のころ2度ほど過労で倒れて入院しました。


そんなお姫様扱いは大人になるまで続き、
母の手伝いなどすることもなく、こき使い、
(母が入院している時だけは、
家の家事一切をやりきる要領の良さはあった。)
父には相変わらず猫っかわいがりされ、育ちました。
弟には力ではかなわなくなるので暴力は振るわなくなっても
口の攻撃は相変わらずでした。


はっきり言って最低の人間です。


でも、本当の本当は、助けてほしかったのです。
ちゃんと分かっていました。
自分の感情がコントロールできず、
絶えずイライラし、マイナスの感情に支配され、
習い事にも、宿題にも集中できず、じっとしているのが苦痛で。
なんで自分はこうなんだろう・・・。
小さいながら生きずらさを感じていました。
それでいて、負けず嫌いで、気持ちを言葉にすることが苦手なため、
助けを求めることもできず「自分は悪い人間だ」と思っていました。
思っているのに、止められませんでした。

威張っているのに、自己肯定感は最悪でした。


情報の溢れる今の時代に生まれたら、
母も自分の娘の症状に気づいたのかもしれません。

私達親子の救いもあったのかもしれません。


でも残念ながら、昭和の時代にはそんな情報はありませんでした。
診てくれる病院も、カウンセリングルームもありませんでした。



大人になって、病気を通して学び、結婚し、子供を持ち、今思うこと。


子供の成長は早いから息子との「いま」を大切にすること。

無償の愛をたくさん注ぐこと。

働けない私の分まで頑張ってくれている夫をいたわること。


分かってるんです。でも、私の中の意地悪な心が時々顔を出すんです。

なんでも思い通りにしたがり、相手を支配したがり、

そうでないと、ものすごくイライラする自分がいる。
当たり散らしてしまう自分がいる。
ふてくされてしまう自分がいる。



今ある幸せは当たり前じゃない。
病気を理解し、心配してくれる両親がいる。
夫がいて、息子がいて。それだけで幸せ。


なのに、


大量の薬を飲んでもなお、顔を出す、私のマイナス感情。

意地悪で自分本位な甘ったれた考え。

大人なんだから、もう誰のせいでもない。

自己責任。

それでも湧いてくる。コントロールできない。


感謝することを忘れずにいなさいと、色々なところで読んだ。

心がけ、なるべく「ありがとう」を口にするようにしてはいる。


なのに


夫を疲れさせてしまっているのがわかる。
息子がビクビクしてるのが分かる。


失わないと気づけないの?

後悔してからじゃ遅いのよ?



なんで私はこうなの?